大阪の観光を楽しむためにも

大阪と言えば良くミナミとかキタとか聞きますが、いったいどんな処なのでしょうか。
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大阪の北と南の何方を貴方は選ぶでしよか?

大阪の高級ホテル

 

浄瑠璃の舞台となった「キタ」

 

大阪のキタを舞台に作品を書いたのが、浄瑠璃・歌舞伎作家の近松門左衛門だ。元禄時代にキタで起こった心中事件をもとにした「曾根崎心中」(1703年)で、庶民を題材にした「世話もの」(世話浄瑠璃)と呼ばれる新しいジャンルを打ち立てた。その作品の舞台となったのが「お初天神」の名で親しまれてきた「露天神社」でありんじ曾根崎新地の遊女の心中事件を扱った「心中天網島」でも曾根崎界隈が出てくる。

 

これらの作品に登場する歓楽街の北新地は、江戸時代には堂島新地と呼ばれていたエリア。堂島新地と曽根崎新地が一体となり、現在のような「北新地」ができ上がるのは明治も終わりに近づいてからのようだ。なお、平成9年3月、JR東西線北新地駅が開業し、大阪市内をはじめ、神戸や京都から北新地に行くには便利になった。

 

鉄道とともに発展してきた梅田

キタといえば、まず梅田を思い浮かべる人が多い。しかし、明治以前の梅田はひっそりとした、賑わいとは無縁の土地だったという。意外な感じもするが、かつての梅田は田畑や沼地が広がる場所。それらを埋め立てたことから「埋田」という地名が生まれ、それが後に、美しい文字に替えられて、現在の「梅田」となったという。明治初期、大阪~神戸間に鉄道が開通した際、「大阪駅」がこの「梅田」に設けられた。それによって、駅周辺部の急速な発展が始まり、大阪の玄関口として広く、梅田が認められるようになった。

 

ミナミの象徴「道頓堀」

 

大坂城築城時、豪の開削にも参加した安井道頓と従兄弟の道トが手がけた堀で、1615年に完成。後に大坂城主の松平忠明が、功績をたたえ「道頓堀」と名付けたといわれている。1660年代から劇場ができはじめ、歌舞伎や人形浄瑠璃も演じられた。日本橋の北詰東には、「安井道頓・道ト紀功碑もばが立っている。2004年12月、戎橋から太左衛門橋間に道頓堀川遊歩道「とんぼりリバーウォーク」が開通し、川辺の散歩を楽しむことができる。

くいだおれの街「ミナミ」

江戸時代、政治は江戸、経済や物流の中心は大阪で「天下の台所」と呼ばれ、全国からあらゆる食材が集まった。大阪の食文化はこの頃から大いに発展し、「京都の着倒れ」に対して「大阪の食い倒れ」という言葉まで流行した。くいだおれの街らしく、大阪で生まれた食べ物も多い。とくに、ミナミはたこ焼きお好み焼きをはじめ、うどんや大阪寿司など大阪らしい飲食店が軒を連ねている。道頓堀の浪花座跡には大阪人の食をテーマにした「道頓堀極楽商店街」もある。

 

織田作之助と「法善寺横丁」

大阪を代表する作家で「オダサク」の愛称で親しまれた織田作之助(1913~1947)。太宰治などと同時代の人で、彼の小説「夫婦善哉」で一躍、全国的に知られるようになったのが法善寺横丁だ。「夫婦善哉」には、グルメ雑誌のように、法善寺横丁の名店をはじめとした大阪のうまいもんがいろいろと出てくる。小説は、だめな男としっかり者の芸者を主人公に、大阪の下町を描いたもの。くいだおれる前に読んでおくとより大阪の料理に愛情がもてそうだ。

 

大阪の観光を思う存分堪能するためにも良きホテルを選びたい物ですね。チョット贅沢に大阪の高級ホテルで大阪観光の良い思い出を残したい物ですね。

 

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